『白い花』

 〜五十嵐和葉の場合〜




 剣を持たずに 白い花を 飾って
 笑顔を添えて お歌 ラララ歌って




 あの歌を聴いたのは、いつだったのだろう。
 それは、とても遠い遠い過去の歌で
 何故、今も残っていたのか その理由を知る者は、もう存在しないかもしれない。
 あの時私は、その歌詞の意味がよくわからず、いや、理解しようともしていなかったか。

 その歌はとても優しくて
 そして、とても悲しかった。





「シーディー…ですか?」
 私―――五十嵐和葉―――が首を傾げて聞き返すと、その場に居る二人――憐さんと伽世さん――が、同時にコクンと頷いた。
「コンパクトディスク、略してCD。昔は、この円盤に音楽が入ってたんだよ。」
 伽世さんはそう説明しながら、私に薄くて四角いものを差し出した。
 お台場の新しい施設に来て少し経った頃。私は探検と称して、この施設内を一人でうろついていた。
 そしてやってきたのは娯楽室。その部屋の奥には広い倉庫があって、そこで憐さんと伽世さんが楽しそうにしていたので、何をしているのか聞いてみた。なんでも、ここには過去からの色んな娯楽物があって、その倉庫の一角に、「音楽」を保存している区域があったんだって。
 いつ頃からなのかは知らないけど、今は音楽と言えばデータでダウンロードするのが当たり前の時代。といっても、そのダウンロードツールを持っている人は少ないし当然私も持っていないので、音楽を聴く人自体少なかったりするんだけど。2070年代、一番地球の科学が発展していた時期は、皆がそのツールで音楽を聞いていたと言う。
 そして、伽世さんが言うには、そのダウンロード形式での音楽が普及する前は、このコンパクトディスク…CDに、音楽が入っていたんだって。
「へぇ…。これに音楽が入ってるんですか。」
 薄くて四角いパッケージをパカリと開けると、ドーナツ型のディスクが入っていた。
 それを手にとって裏返してみると、虹色にキラキラと光っていてとても綺麗。
「色んな年代の音楽が揃ってるから、種類は本当に豊富よん。」
 伽世さんはそう言いながら、部屋の隅に設置された機械に向かった。
「伽世、コレ聴かせて。ハードコア!」
 憐さんもなんだか楽しそうに棚に並んでいるCDを手に取っては眺め、そして一枚のCDを伽世さんに差し出した。伽世さんは「オッケー」と笑って、そのCDを機械に入れる。
 少しして、その機械から音楽が鳴り響く。思わず耳を塞ぎたくなるような大音量で、ギターかな?なんだか激しい音。コレも音楽なんだぁ…。
 憐さんがノリノリでリズムに乗っている姿を横目に見つつ、私は棚に並んでいるCDの背表紙を眺めた。
「和葉ちゃんも、聴きたいのあったら言って。あ、確か部屋にもプレイヤーあったと思うけど。」
「はい、ありがとうございます。」
 伽世さんの言葉に頷いて、私はCDを探していた。といっても物凄い数のタイトルで、選ぶのにも一苦労。
 私が膨大な量のCDの前で悩んでいれば、伽世さんが隣にやってきて、一枚のCDを取り出した。
「1900年代の終わりがけ辺りとかお勧めかな。J-popっていうジャンルが確立してきた頃なんだけど、なかなか良いの揃ってるんだ。」
「そうなんですか。」
 その年代の棚だけでもかなりの量なんだけど…globeとか、DREAMS COME TUREとか。横文字のアーティスト名が多い…かな?
「うぅぅん、なんだか多すぎて迷っちゃうから、伽世さんがオススメのを聞いてみたいんですけど。」
 私がそう言うと、伽世さんは了解ーと頷きつつ、指でCDの背表紙を辿る。そしてその指先が、一枚のCDのところで止まった。
「あたしのオススメは、これ。ちょっと痛い系かもしれないけど、すごい良い歌を歌ってるよ。」
 そう言って伽世さんが取り出したCD。アーティスト名は、「Cocco」。
 私はそれを受け取ると、笑顔で頷いて見せた。
「ありがとうございますっ。じゃあ、お部屋に戻って聞いてみますね。」
「ふふふー、和葉ちゃんもこれを機に、音楽の素晴らしさに目覚めるが良いわッ。」
 伽世さんがそうやって悪戯っぽく笑う後ろで、今も尚かかる「ハードコア」にノリノリな憐さんの姿があった。
「フゥッ!サイコォッ!!」
 お、音楽の力って凄い…。





 その曲がかかったのは、伽世さんオススメCDの二枚目のディスクをかけてから数十分経った頃。
 BGMとしてそれとなく聴いていたんだけど、ふと流れたメロディに、私は顔を上げた。
「……え…?」
 ――記憶に引っかかるような、妙な感覚。
「和葉さん?どうかしました?」
 私の反応を見てか、同室の未姫さんが不思議そうな顔をする。
「あ、いえ、なんでもないです。」
 私は小さく首を振りながら、プレイヤーの傍に置いていたCDケースの元へ向かった。
 歌詞カードを捲る。そうしている時も尚、記憶が疼くような感覚を覚える。
 曲名は「靴下の秘密(デモ)」… な、何だろ…?



 夢を見たけど
 走ることを忘れて
 首に吊るした
 カギをそっと睨んで

 賢い子供は 知ってた
 愛される術を 全部




 ―――私… この曲、知っているかもしれない。
 でも、どうして?
 今まで音楽なんて、聴いたこと…

 刹那。

 パチンと弾ける様に 記憶が 蘇った。
 あれは…私が二十歳、とか、そのくらいの頃。二年前…?
 そうだ。親戚のお姉さんが持っていた、小さな音楽プレイヤー。
 私はそれが凄く物珍しくて、聴かせてもらったんだ。
 まさか、あの時の曲…?

 『人間は都合の悪いことを忘れていく生き物である。』
 誰かが言っていたその言葉。
 私。何かを忘れているような気がする。
 この曲に、何か、私にとってすごく都合の悪い思い出が、あるような――…。





「和葉ちゃん。」
 廊下を歩いていて、不意に呼び止められて振り向いた。
 そこには、満面の笑みの都さんの姿。
 両の手を後ろに回して、私の傍へと歩み寄ってくる。
「都さん。どうしたんですか?」
 私が少し笑んでそう言葉を掛けると、都さんは笑みを含ませて「目を瞑って」と言った。
「…?」
 首を傾げつつも、言われるままに目を瞑る。
 そして数秒間の後、「開けていいよ。」と言われて、そっと目を開けた。
 目の前には、――白、があった。
「え…?」
 何度か瞬きをした後、ようやくその白が何なのかわかった。
 白い、花だ。
「ふふ、さっきちょっと外に出てきたんだけどね。まさかまだ花が生きてるなんてね。」
 都さんは微笑むと、私にその花を差し出した。
 綺麗な白いお花。純白の、白。
「…そうなんですか。まだお花、生きれるんですね。」
 なんだか嬉しくて笑顔になる。私は差し出されたその花をそっと受け取って、指先でそっとそっと、その花びらを撫ぜた。
「和葉ちゃんにあげようと思って。…本当は、そのままそっとしておいてあげた方が良かったのかも知れないけど、誰の目にも触れず死んでいくより――…和葉ちゃんなら、この花のこと精一杯愛でてくれるかなって思ったの。」
「都さん…。ありがとうございます、私、大切にしますから。」
 私の言葉に都さんは満足げに笑んで、「それじゃあ」と言って私に背を向けた。
 私が花をそっと手の平に包んだまま都さんを見送っていると、不意に都さんはくるりと振り向いた。
「あとね、和葉ちゃんには花が似合うと思ったから。――その綺麗な手は、人を傷付けるためじゃなく、花を愛でるためにあるのよ。」
 そう言って都さんは少し照れたように笑い、歩いていった。
 …花を愛でるために。
 ―――都さん、ありがとうございます。





 「悪」を許さず
 「善」を崇め続けて
 偽り話を
 ちゃんと うまく呑み込み

 小さな手の平 伸ばして
 空を仰いでは 泣いた




 今日もまた、あの曲をBGMにかけていた。
 初めて聴いて以来、なんだかすごく気になる曲。
 少しだけ、聴かない方が良いような気もしていた。
 だけど気になるし、それにとても素敵な歌だから。
『「悪」を許さず、「善」を崇め続けて』
 そのフレーズが歌われた時、ベッドに寝そべって書類に向かっていた千景さんが、ふと顔を上げた。
 今日は、この1号室に居ないのは珠さんだけ。未姫さんも千景さんもそれぞれの時間を過ごしていて、少し自分の趣味で音楽をかけるのに気が引けちゃったんだけど、二人共笑顔で了承してくれた。
「ねぇ、今のトコ、和葉ちゃんみたいね?」
「…あ、そ、そうですか?」
 実は自分でも少し気になっていたところなので、なんだか照れくさく思う。
「未姫さんもそう思わない?今の、悪を許さず!善を崇める!って所。」
「あはは、そうですね、和葉さんらしいです。」
 千景さんの言葉に、未姫さんも微笑んで同意する。
 私ってそんなに悪を許さず、とかかなぁ。善を崇めるのは否定しないけど。

 ―――和葉さんらしいです。

 パチン。
 未姫さんが言葉を発してから少しの間を置いて、同じ言葉が、脳裏に反芻される。
 私、らしい?
 その言葉、前にも、どこかで――…

『なんか、和葉の歌みたいよね、この曲。』

 そうだ。私にこの曲を聴かせてくれた、お姉さんの言葉。
 その言葉を貰った時、私は――…?

 …悲し、かった?

 なんだろう、この妙な感覚。
 いいことじゃない。悪を許さず善を崇めるなんて。
 何故、あの時の私は悲しかったんだろう。

 都さんから貰った白い花を、グラスに活ける。
 今は少し蕾のような感じで、もうちょっとしたらもっと綺麗に咲くだろう。
 その時が楽しみ。





 そしてまた別の日。
 私は今日も自室でいつもの曲を聴いていて
 隣に居るのは都さん。
 今日は相部屋の三人は出かけているので、都さんと二人っきり。
 なんだかちょっと照れくさいかな。
「花、大切にしてくれてるわねー。」
 都さんは嬉しそうにしながら、グラスに活けたお花を眺めていた。
 言われて花に目を遣ると、今日で満開と言った感じ。
 とても綺麗だけど―― もう少ししたら、枯れちゃうのかな。
 そう思うと、少し悲しかったりもする。
「剣を持たずに、白い花を飾って。」
「え?」
「ほら、この曲の歌詞。あはは、タイミング良いなぁー。」
 都さんはそう言って笑いながら、頬杖をついて私に笑みを向ける。
 確かに、グットタイミング。
 ――だけどなんだろう。やっぱり、妙な感覚を覚える。
 単純に喜べない、何か。

『和葉ちゃんには花が似合うと思ったから。』

 白い花を手に。
 私は、平和を望んでいた。
 望んで――…

「待って。」

 私は不意にぽつりと口走っていた。
 そんな私に、都さんは不思議そうな顔で「何が?」と首を傾げる。
 違う。違うの。

 ―――…そうか。
 思い出した。
 私はこの曲が 嫌いだった。



 でも靴下の中には
 カミソリを隠したまま
 抱き合いながら
 微笑んで
 夕陽に傾く影は
 赤く染まった




 親戚のお姉ちゃんと会ったのは、私の両親の葬儀の時だった。
 突然、唯一無二の家族を失った私は
 両親の命を奪った人間を 心から憎んでいた。



「殺してやる… 絶対に、絶対に殺してやるんだから…!!!」

 叫んだ。
 けれどその願いは叶わない。
 私の両親の命を奪ったのは人間の手なんかじゃなかった。
 大きな大きな爆弾だった。広大な大地を無に還すほどの、大きな。

 ナイフを手にして、喚いていた。
 殺してやる。殺してやる。
 その言葉以外、忘れてしまったかのように。

 そんな時私は、あの曲を聴いたんだ。

『なんか、和葉の歌みたいよね、この曲。
 ―――人なんか憎んだこともないような顔をして、すごくどす黒い感情を抱いてる。』 

 お姉ちゃんの言うことはもっともだった。
 葬儀の時、私は綺麗な白い花を手にしていた。
 花を手にして両親を送りながら 繰り返していた。―――殺してやる。



 私はピストルだって持っていた
 カッターもナイフも全部 持っていた




 だけどそれを使うことは無く 私は平和活動に従事した。
 心の中に憎しみを秘めて。
 白い花を手に。


「和葉ちゃん?…どうしたの?」
 心配そうに私の顔を覗き込む都さん。
 私は小さく首を横に振って、笑んで見せた。



 でも靴下の中には
 涙を隠したまま
 「迎えに来て」と
 つぶやいて




『その綺麗な手は、人を傷付けるためじゃなく、花を愛でるためにあるのよ。』

 私は、その言葉通りの人間になることを 望んでいる。
 感情を殺して。
 白い花を手に。



 剣を持たずに
 白い花を 飾って
 笑顔を添えて
 お歌 ラララ歌って








 ――――music by Cocco 『靴下の秘密(デモ)』









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