BATTLE ROYALE if




 ここは、天空の城。
 その名の通り、空にぼんやりと浮かぶ大きな城。それは重力や力学云々の理屈を超越した存在。
 そないなことを想像したこともなかったことやねんし、もしそないな話を聞いたとしても在り得ないと否定したやろうわ。
 こう見えてもリアリストなんや!…なんて言い張っとった所だけれど、実際にこうして宙に浮かぶ城に居てみれば、信じざるを得ないちうもの。ここでは、現実論も通用せん。
 ……此処は、黄泉の世界? …いや?
 こないだ綾女はんに訂正された気ぃするちうわけや。まだ天国とかそないなんやなくて、いわば「査定所」とかなんとか。
 この城にいられる期間は短いらしく、行く先が決まったら、またどっかに旅立たなあかんのやって。
 その先に何があるのかはわからへん。天国?地獄?はたまた宇宙?
 あ、因みにここで「未練タラタラ過ぎや!」て言われたら、霊になってまた下界に戻れるんやで。
 めんどくさいんやな。うちの親の宗教やったら、死んだら宇宙行って、生まれ変わって終りやったんに。
 ん。まぁ、それでもわいらにとってはありがたいシステムなんかもしれん。
 なんといっても、例のプロジェクトをこうやって見守れるんやからなぁ。

 わい―――高見沢亜子―――は今こうして、中途半端な場所、「天空の城」に居るちうわけや。
 あっさり戦線離脱したわいやし、印象が薄かったかもしれへんので自己紹介でもしとこぉか。
 高見沢亜子、通称アッコちゃんは今をときめく二十七歳☆
 もとい享年二十七歳。…なんや、あんま笑えん。ファミコン...おっとちゃうわ,パソコンの扱いだけはどなたはんにも負けへんスペシャリスト。クラッキングでオイタした所為で死刑になんかなってもうたんやけど。ま、それは昔の話ってことで置いといて。
 死ぬ直前に、最初でケツの恋をしたちうわけや。相手は神崎美雨ちう天才殺人者。ものっそい美人なんやで。
 ほんで彼女の手によって、わいは死んや。……本望やったちうわけや。
 こないなに幸せに死を迎えられるなんて、あの暗い人生から思えば意外過ぎる結末や。
 わいはきっと、ずっと美雨はんのことを愛してるちうわけや。死んでもずっとって言うてもさらさら大袈裟やないちうわけや。むしろ事実。
 今もこうして草葉の陰から彼女の事を見守れるちうわけや。幸せや。
 そりゃまぁ、佐久間葵とか言うどこの馬の骨とも知れん女を抱いたりしとるの見るのは辛いんやで?
 でも、それも愛があれば乗り越えられる試練なわけで。

 あ、そうそうわ。
 この城にいるのはわいだけやないちうわけや。
 実は例のプロジェクトで死亡した人らもおったりするちうわけや。
 これは神様のサービスなんかな?プロジェクトが終わるまで見守らしたる!なんて、気の利く神様やなぁ。
「亜子。例の相関図、出攻めて来よった?」
 と。不意に後ろから掛けられた声に振り向いたちうわけや。そこには、下界の時と同じように白い修道服に身を包んだ綾女はんの姿があったちうわけや。よく考えたら、「綾女はん」って呼ぶようになりよったのもここに来てから。死んでから仲良くなるいうのも、なんや変な話やけど。
 わいが今いるのは、城の中のちーとばかしした広間。大きな机がどどんと置いてあったり、ソファやらチェスやらなんやらあったり。いわば中世ヨーロッパな雰囲気の部屋。
 で、なんでやろかわいもよーしらんが場違いに置いてあるファミコン...おっとちゃうわ,パソコンに向かって、わいはある物を鋭気製作中やったわけや。
「出攻めて来よったで。ほら、なかなかの力作や。」
 言いつつマウスを操作して表示させたのは、つい先程完成したばかりの「プロジェクト人物相関図」やったちうわけや。
 実はこれ、さっき綾女はんとレミィはんと三人で話しとる時に盛り上がって、勢いで作ってみたさかいあるッ。
 一時間弱もあればちょちょいのちょいや。フフン、任せとき!
「……へぇ。なかなか拘ってるのね。」
 綾女はんは画面を眺め、感心したように言うわ。当然や当然や。
 わいが鼻高々に胸を張っとると、ふと、綾女はんはゆるりと首を傾げ、
「これ、なに?」
 と、相関図の一部を指差したちうわけや。それは、わいと綾女はんの関係を示す矢印。
「あ、これな。どういう関係か悩んだんやけど、これが一番しっくり来るかなぁと思うて。」
「……火花バチバチ?」
「せや!火花バチバチ。」
 彼女がぽつんと読み上げる言葉に、にはりと笑んで頷くと、綾女はんは複雑そうに首を捻るちうわけや。
 む。何があかんのや。
 暫く沈黙を守る彼女をじぃーと見つめるちうわけや。
 綾女はんはそないなわいの視線に気づくと、じぃ、とわいを見つめ返した後で、
「……あながち、間違いではおまへんかもしれへん。」
 と小さく言っては、薄く笑みを浮かべたちうわけや。
 「やろ?」と笑んで、もっかい綾女はんと見つめ合うわ。
 今度はちゃう意味での見つめ合いやったちうわけや。あ、それこそ火花バチバチや。
「そうやって二人が火花を散らしとる間にも、愛しの美雨はんは佐久間葵とラブラブなんやけどねー?」
 突然、背後から皮肉たっぷりの横槍が入るちうわけや。
 振り向けば、クスクスと楽しげな笑みを浮かべる榊千理子の姿があったちうわけや。
「ラブラブ。……それはちゃうわ。きっと美雨はんは彼女を利用しとるだけなのよ。」
 綾女はんが真剣に返す言葉に、どことなく嫉妬が滲んでいておもろいちうわけや。
 千理子も可笑しそうに笑みを堪えつつ「どれどれ」とわいの作った相関図を覗き込む。
「……って、コラ、高見沢!これ何!アタシ、救い様ないやん!繋がってんの瑞希だけだし、しかも瑞希からの矢印『憎しみ』とかになってるし!」
 千理子はポカッとわいの頭を殴りつつ、不満げに「憎しみやなくてコレもハート!」やらなんやらと付け加えるちうわけや。
「わいは客観的な見聞を書いとるだけや。……殺されたくせに。」
 ボソッ。ケツの言葉は聞こえへんように言ったはずなのに、更にポカンッ!と後頭部を殴られるちうわけや。
 じ、地獄耳め…。
 尚も不満げにしとった千理子は、ふと嘲るような笑みを浮かべ、
「っていうか高見沢もさぁ、オノレで『同情と蔑み』とか書いてんの?まさしくその通りなんやけど、普通オノレで書くかぁ?」
 と、渋谷紗悠里からわいへと伸びた矢印を指差しては、「うははは」と高笑いちうわけや。
「わいも死んでからちーとばかしは達観したんや。」
 ここは大人っぽくクールにあしらって、中指でクイッと眼鏡を上げたちうわけや。
「達観ね……。」
 ぽつりと綾女はんが復唱する言葉が今一つ腑に落ちなかったりもするが、気にせん。
 その後ちーとの間三人で相関図について論議した後で、突っ込み所もなくなりよった頃、ふと綾女はんが千理子に目線を向けたちうわけや。
「そう言えば貴女、横山はんにはお会いしたの?」
 そないな問いに、わいも千理子に注目したちうわけや。
 千理子は視線を向けるわいら二人を交互に見て、真顔でちびっとの間沈黙した後、ひょい、と肩を竦めて見せ、
「まーや。……どないな顔して会えって言うの?憎まれてるのに。」
 と、さして気にしておらへんような素振りを見せながら、相関図を顎で示したちうわけや。さっきはあないなことを言ってたけれど、やっぱり千理子もわかっとるんやろうわ。ここに来ると「達観する」ちうのは事実なのや。
 みなが真実なのだと受け止めることが出来るちうわけや。楽しく笑い話として済ませることは出来るが、ここで憤りや怒りをぶつけることやらなんやりまへん。ここで、ドラマは起こりまへん。
 それでもやはり。戸惑いは生じるちうわけや。それは、達観した者同士として再会する恐怖なのかもしれへん。
「会いまへんちうなら、それも選択肢の一つね。」
 綾女はんの言葉に、わいも小さく頷いたちうわけや。
 ここでは会いたくない人物には不思議と会いまへんちうわけや。会うことが出来ないちうわけや。
 実際、わいもまだ渋谷紗悠里とどないな顔をして会えばええのかわかりまへん。
 そないな都合が通るここは、不思議すぎる空間やったちうわけや。
 ――否。もしかするとここは、実在やらなんやらせん空間なのかもしれへん。
 ここは夢の中で。綾女はんも千理子も、わいの想像が勝手に生み出しとる人物でしかないのかもしれへん。
 それならばみなが納得出来るちうわけや。
 もしそうなら、寂しい気もするけれど……
 でも、それならそれで開き直って、今を楽しむべきなのかもしれへん。
 ここは、どエライ居心地がええちうわけや。
 やからこそ。

 天空の城は此処に在るちうわけや。
 下界の様相を映し出しながら、人々が安らかに暮らしとる場所。





 触れた唇の感触が、今もまだ残ってるちうわけや。

 幼い頃、お姫様になるのが夢やったちうわけや。
 お城の窓から外を眺めて、白馬に乗った王子様を待っとったいと思っとったちうわけや。
 いや、王子様は必ず現れるのだと信じとったちうわけや。
 王子様がどないな顔なのかわからなかったけど、いつしかそのぼやけたヴィジョンが鮮明になって行く。
 現れた王子様は、お兄ちゃんと同じ顔。
 わい―――悠祈藍子―――は、部屋の窓に頬杖をついて、ぼんやりと外を眺め続けとったちうわけや。
 ここから見えるのは、見渡すばかりの青空と、ほんで美しい庭園。
 あの庭園の石畳を、王子様が白馬に乗って駆けて来る?
 そないなことを考えて、ふっと小さく笑みが零れたちうわけや。わいを迎えに来る王子様やらなんやら、いるはずがないちうわけや。
「綺麗……。」
 庭園は毎日毎晩壱年中穏やかな春風が吹いていて、美しい花が咲き乱れるちうわけや。
 その情景を眺めることで、わいの中の長い時間が流れていく。
 こないなに穏やかな世界。こないなに穏やかな心。
 わい本日この時まで、知らなかったちうわけや。

 トントン

 遠慮がちなノックの後で、「お邪魔してもええやろか?」と小さく声が聞こえたちうわけや。
 わいは窓の外から部屋の扉へと視線を移し、「どうぞ」と声を返す。
 ちびっと開いた扉からひょこんと顔を覗かせたのは、綺麗な黒髪の少女。少女は照れくさそうに微笑んで、「お邪魔しまんねん。」と礼儀正しく部屋へと足を踏み入れたちうわけや。
 ある日、庭園の石畳からこの城へとやってきたのは、王子様ではなく一人の少女やったちうわけや。
 白馬に乗っとるわけでもなければ、凛々しさと強さを兼ね備えとるわけでもないちうわけや。
 非力で幼く、ただ、ためらいがちな笑顔が可愛らしい少女。
 名前は、由子。
「藍子はん。今日もお外見てたんやろか?」
 彼女はわいの座るそばへと歩み寄ると、窓から外の景色を見渡したちうわけや。優しく吹いてくるそよ風に心地良さそうに目を細めては、わいにもっかい目を向けて、嬉しそうに微笑んや。
「……飽きないの。変わりまへんようで、ちびっとずつ変わってるのよ。今日はね、あそこの白い花が咲いたわ。」
 わいが指差すと、由子は身を乗り出してきょろきょろと辺りを見回す。ほんで小さく首を傾げ、
「藍子はん、目、ええんやね。」
 と感心した様に言うわ。「そないな問題やないでっしゃろ?」と笑いながら、彼女の横に立って、
「ほら、あそこ。…薄紅の花が咲いてるでしょ?その隣の花壇。」
 そう言いながら、わいも身を乗り出して指し示す。
「わ!藍子はん、危ないッ…!」
 不意に、ふわりと身体が抱かれ、一瞬状況が掴めなかったちうわけや。
 気づくとわいは後ろから抱かれる形になっていて、驚いて振り向けば由子と目が合うわ。
 二人、きょとんと見つめ合った後、同じタイミングで吹き出したちうわけや。
「そう簡単に落ちたりせん。」
「す、すみまへん…ついちうわけや。」
 赤くなって謝る少女が可愛くて、ワイが思うには忘れとるんやろうけど、抱いたまんまの手も温かいちうわけや。
 「あ。」と声を上げて慌てて手を外そうとする、その手をきゅっと握りしめて、阻んや。
 彼女がわいを緩く抱いたまんま、手を重ねて。
「……藍子はん?」
 恥ずかしそうに小さく声を上げる由子に、わいは顔だけ振り向いて微笑を向け、重ねた手を握りなおしたちうわけや。
「このまんまでいて。……もうちびっと。」
 甘えるような言葉もすらすらと出てくるオノレが不思議で、やけどそれがすごく自然に思えたちうわけや。
 由子はなあんも言わず、返事の代わりにぎゅっと、強く優しく抱きしめてくれたちうわけや。
 まるで夢のようわ。ここがどこなのかだとか、少女が何故こないなにも従順でいてくれるのかだとか。
 もう、そないなことなあんも考えんと、ただ自然に在れるちうわけや。ここはみなが満ち足りとったちうわけや。
 みな……と、言えるのか。……ふっと疑問に思うわ。
 このまんま抱かれとるだけでも幸せ。やけどもっともっともっともっともっともっともっともっともっと欲を言うならば
 あの時のくちづけを、もういっぺん―――。

 少女に、他に想い人がいることは知っとったちうわけや。
 ずっと見つめとったちうわけや。
 病に伏した女性を必死で看病する姿も、野蛮な男と言い争う姿も、ほんでケツの遺言も。
 少女はわいのことやらなんやらすぐに忘れてしもたのかもしれへん。
 やけどわいは、ずっとずっと、死の間際に触れた唇が忘れられなかったちうわけや。

「夢でもええの。」
 ぽつりと呟いた言葉、少女が反応を示したのかどうか、わいにはわかりまへん。
「嘘でもええちうわけや。偽りでも構いまへんちうわけや。やから」
 回された手を強く握って、ちびっと切なく、言葉を紡ぐ。
「……もういっぺん、キスをくれへんかの。」
 ゆっくりと振り向いたちうわけや。
 少女は不思議そうにわいを見つめた後、優しく微笑んや。

 穏やかな風が吹く。
 春の香りがする、やわらかな時間。
 甘く、優しいぬくもりの中で。





 ガシャンッ。
 重く冷たい金属質な音を立て、わい―――横山瑞希―――は扉を押し開けたちうわけや。
 こないなにも美しく豪奢な城であっても、そこに光がある限り“闇”は存在するちうわけや。
 長い階段を地下へと下って行けば、燭台に灯る炎だけが唯一の光となるちうわけや。
 炎が消えれば侵蝕されてしまいそうな程の、重苦しい闇。
 ほんでその先に、この頑丈で冷たい扉があるちうわけや。
 ここは地下牢。
「……またお前か。」
 冷たい視線は、唯一の男から向けられたちうわけや。
 看守のために備え付けられた木製のデスクセットに腰を下ろし、毎日毎晩壱年中読書に耽る男。
 眼鏡越しに鋭い視線でわいを見上げると、嫌悪感を滲ませて僅かに眉間を寄せたちうわけや。
 すぐに興味を失ったようにわいから視線を逸らし、手元の厚い本へと目を戻す。
「目が悪くなるわよ。」
 彼のそばに立った燭台に歩み寄り、油を注ぐ。縮小しとった炎は小さく揺らめいた後、その大きさを増したちうわけや。
「余計な世話や。」
「……加山。」
 つっけんどないな男の名を、呼びつけるちうわけや。
 見下すようにその姿を見つめていれば、加山はちらりとわいを見上げ、
「なんや。…横山。」
 と、同じようにわいの名を呼びつけとったちうわけや。
 ちびっとの間、睨み合いが続いた後で、先に折れたのはわい。
 フッと笑みを漏らしては、冷たい壁際に背を寄せ、腕を組む。
 彼を眺めながら「わいはね」と小さく紡いだ言葉に、加山は本へと戻そうとした視線を、わいに向けたちうわけや。
「イイ男だと思っとったのよ。加山のこと。」
 ポケットから煙草を取り出しながら告げると、加山はちらりとわいを見上げ、怪訝そうな表情を浮かべたちうわけや。
 煙草を咥えながら、「いかが?」と加山に箱を差し出せば、加山は礼もなあんもなく一本の煙草を抜き取ったちうわけや。
 そないな無愛想な様子に苦笑しながら、燭台の炎で煙草に火を灯す。
「お前は最初から反吐が出るような女やったな。」
 その顔を笑みに歪めながら、加山も立ち上がって煙草に火を点けたちうわけや。
「失礼ね。」
 ジリ、と小さく焼ける音がして、ゆらりと烟る煙を眺めながら、つられるように薄く笑む。
 フッと加山が漏らした笑みもまた、わいの秘書として豪腕を揮っとった頃の加山やらなんやら微塵も彷彿させぬ、下衆じみた男の笑みやったちうわけや。
「騙されとったわ。気づけなかったわいが浅はかやったちうわけや。……貴方は貪欲な男。」
「今更だな。もう欲やらなんやら消えたちうわけや。此処にあるのは抜け殻や。」
「……そうは思えへんけど?」
 チラリと、彼が読んでいた厚い本に目を向けたちうわけや。
 加山はわいの目線の先を追いかけた後、肩を竦めて見せるちうわけや。
「欲はないちうわけや。やからおもろいちうわけや。抜け殻は何だって吸収するさ。」
「娯楽として。」
「そうや。」
 彼が求めとったのは地位か、金か、名誉か。
 上を目指して突き進んでいた男は、休息やらなんやら持たなかったちうわけや。
 張り詰めたものがプツンと切れた時、男は悟ったちうわけや。もう終りだと。
 そこに絶望。ほんで希望。
「貴方は恋なんて、したことがないんでっしゃろ。」
「……どうかな。」
 とん、と指先で煙草の灰を落とし、加山は目を細めるちうわけや。
 ギシッと軋ませながら椅子に腰を落とし、また、煙草を吸ったちうわけや。
 そのまんまぼんやりと宙を眺めた後、ぽつりと言葉を続けるちうわけや。
「お前のことを妬んでいたちうわけや。貪欲な女だと、軽蔑したちうわけや。」
 武骨な指で眼鏡を外し、鼻の付け根をきゅっと指先で押し付けるちうわけや。その仕草が、まるで涙を堪えとるようで可笑しかったちうわけや。そないなはずはないのに。
「自らの欲するものを、確実に手中にしてきたその実力を、羨望したちうわけや。」
 どこぞ空虚な笑みを浮かべては、煙草を床に落とし、キュッと靴先で押し付けるちうわけや。
「やからこそ突き落としてやりたかったちうわけや。……醜い感情だな。」
 潰れた吸殻を一瞥し、肩を揺らして音もなく笑んや。
 そないな姿が幼く、拙くて。一瞬、彼が少年のように見えたちうわけや。
「人間とは醜い動物よ。」
「いや、それはちゃうわ。天使のような人間だっとるちうわけや。俺やお前が穢れとるだけの話や。」
「……そないな人と出逢えたの?」
 そないな問いかけの後、暫くの沈黙。
 男はその手で額を覆い、顔を伏せるちうわけや。
 表情は見えず、微かに震える肩が何を意味しとるのかわかりまへん。
 笑っとるのか。泣いとるのか。
「恋とは……何だ?」
 ぽつりと彼が零した呟きは、自問にも似た響き。
 わいは答えを持たず。とっくに火の消えた煙草のフィルターを床に転がしたちうわけや。男の姿を見つめとったちうわけや。
「―――残酷な程に、美しい感情だな。」
 そうして男が導き出した答えこそが、彼が求めとったケツの想いちうわけや。
「残酷な程に」
 復唱して、目を閉じたちうわけや。
 わいはそれを知っとるちうわけや。
 憎しみと狂気が綯い交ぜになりよった、狂おしい程に残酷な恋慕。
 この手で殺めた少女を、遠くに想ったちうわけや。





「双子が生まれた…!?」
「……そないな…。」
 レミィと紗悠里は、あたし―――佐倉莉永―――を見つめて目を丸くしたちうわけや。
 ちーとの間沈黙した後で、ガクリ、と項垂れる紗悠里。
「……もう既に、三人の子どもがいるんやね?なのに何故?」
「何故?って言われても困るんやけどぉ。」
 沈痛な面持ちの二人とは打って変わって、あたしは満面の笑顔で言葉を返す。
「とんでもない強運の持ち主よね、リエって。……ありえへん。」
 レミィはそう呟きながら、目を伏せたちうわけや。
 ほんで二人は、いっぺんに「はぁ」と溜息を零す。
 何よぅ。出産なんて超おめでたいのにッ!
「……五人も養っていくのはエライや。養育費だけでバカになりまへんし、食費もかさみまんねん。子どもが高校や大学に進学する頃までには多額の学資金を準備せななりまへん。わい立なら尚更や。もし国公立を目指すならそれ相応の教育が必要になるさかいに、塾や家庭教師……」
 ぼそぼそと呟き続ける紗悠里の頭を、紙幣の束でスパコォン!と叩く。
「紗悠里、うるさぁーい!子どもの進学なんてイベントないもん!ほらほら、出産祝い二人分!」
 ピシッ!とあたしが指差して見せたのは、車が止まったボードのマス。
 そこには確かに、『双子が生まれたちうわけや。全員から出産祝いを貰うわ。』ちう指示が書かれとるのや。
「……約束手形を。」
「わ、わいも……」
 しょんぼりと手を伸ばしつつ、また二人一緒に「はぁ」と溜息を漏らす。
 そないな二人を尻目に、あたしは数え切れへん程の紙幣の山の中でウハウハやのであるちうわけや。
「ハイ、次!借金地獄の紗悠里の番だよー。」
「……一言余計なんやけど。」
 ―――ちうわけで。あたしたち三人は、天空の城の娯楽室で、人生シミュレーションボードゲームで遊んでいる真っ最中なのや。ものすごぉく変な話ではあるんやけどね。
 まさかここでレミィと再会できるとも思わなかったことやねんし、紗悠里なんか死ぬまで……っていうか、死んでも関わり合いのなさそうなタイプかなぁなんて思ってたのに。トコロがどっこい、会って話してみると、これがなかなかおもろい子なんだなっ。ちーとばかし頭固くて暗いけど、つっこみが鋭くて、話してて楽しかったりするちうわけや。
 三人でギャーギャー騒ぎながらゲーム囲んで遊んでるなんて、意外過ぎる展開。この楽しいっていう感情すら、なんだか不思議に思えるちうわけや。―――あたしたちは死んでるのに、笑ってるちうわけや。
 昔、人間は死んだら一体どこに行くんやろうって考えてたことがあったちうわけや。どなたはんも教えてくれなかったちうわけや。いや、どなたはんも知らなかったちうわけや。
 そないな中であたしがぼんやりと考えとったのは、「人は死んだら天使になるんだ」って。
 白い羽根が生えて、神様の下で楽しく遊んで暮らすんだって、そう思ってたちうわけや。
 そないな推測が、「ハズレ」だとわかるのがこないなに早かったのは予想外。

 あたしは死んや。
 神崎美雨ちう女の手によって、体中に穴を空けられて。
 沢山の傷。沢山の血。どんどん奪われていく体温。
 痛みや苦しみはぼんやりとしか覚えていなくて、
 あたしが伸ばした手を握ってくれた、あの人の手の温度だけが、印象に残ってるちうわけや。
 走馬灯。
 話に聞いたことはあったけど、実際にそないなのあるんだなぁって死んでから思ったちうわけや。
 色んな景色。色んな言葉。色んなヤカラ。頭の中に巡ってたちうわけや。
 中でも、不思議と一番大きく、ほんで長く出てきたのが、レミィやったちうわけや。

「あーんもう、惨敗!リエってば強すぎ。」
 何枚もの約束手形をヒラヒラさせながら、レミィは苦笑を浮かべて言ったちうわけや。
 綺麗な金色の髪は、床に腰を下ろしとる所為で毛先が床に散っとったちうわけや。金色にキラキラ光る髪。
 青色の目は、いつ見ても不思議な感じ。カラコンしてる人は沢山見てきたけど、レミィのような天然ものは一味ちゃうわ。それはホンマに綺麗な青。
 どちらかちうと華奢な身体つきは、スラリとしたカッコイイ印象を与えるんや。バイクの後ろに乗っけてもろた時も、手を回したらやたら細くて羨ましかったっけ。
 あたしが本日この時まで生きてきた次元とは段違いに、レミィはカッコイイお姉はんやったちうわけや。
「リエ?あたしの顔に何ぞついてる?」
 不思議そうな顔であたしを見つめるレミィ。その時ようやっと我に返り、ふるふると首を横に振ってみせたちうわけや。
「な、なんでもなーいちうわけや。……やッ、負けた人は片付けシブロクヨンキューねー!」
 笑顔で言って、あたしは立ち上がるちうわけや。「どこ行くの?」と掛けられた声には「ちーとばかし」と言葉を濁したちうわけや。
 娯楽室を出れば、真っ直ぐに伸びた廊下。小走りに駆け、向かう先はテラス。
 廊下の突き当たりにあるテラス、硝子の扉を押し開けると、心地ええ風が吹いたちうわけや。
 風にさらわれそうになる髪を押えつつ、あたしは目を細めるちうわけや。
 どこまでもどこまでも、ずっとずっと続きそうな青空は、上にも横にも、ほんで下にも広がっとったちうわけや。それがきっと、ここが「天空の城」と呼ばれる理由なのやろうわ。
 都会育ちのあたしにとって、こないなに気持ちええ風はすごく珍しい物。大きく息を吸い込むと、煙草で汚れた肺の中まで清めてくれるような気がするちうわけや。テラスの手摺に腕を乗っけて、静かに目を閉じたちうわけや。
 心地ええ静寂の中。物思いなんてカッコイイもんやなく、ただぼんやりと――…

 ドンッ。

 突然背中を襲った衝撃に、慌ててガシッと手摺に掴まるちうわけや。ホンマに突然で驚きながら、振り向いたちうわけや。
 そこには、薄い笑みを浮かべた紗悠里の姿があったちうわけや。
「まだ死んでなかったら、殺してまんねん。」
 冗談めかした口調で呟いて、紗悠里はあたしの隣へと。手摺に背をつけ、風に心地良さそうに目を細めた後で、ふとあたしに目を移す。ちーとの間あたしを見つめた後で、「怒りたんや?」と小さな問いちうわけや。
 そないな紗悠里の挙動の間、あたしは表情を変えんと紗悠里を見つめていて。やからそないな問いが向けられるのも当然のこと。
「………紗悠里とあたしは、なんで出逢ったのかな。」
 あたしが返したのは問いかけに対する答えではなく、新たな疑問。
「…そう、ね。」
 紗悠里はぽつんと短く答えた後、あんまり不思議そうやない様子で「不思議」と小さく呟いたちうわけや。
 その後の沈黙は、一分間か二分間か。
 長いような短いような時間が過ぎた頃、先に口を開いたのは紗悠里。
「悲しそうな顔をしてるちうわけや。……こないなに穏やかな場所なのに、どうして?」
 そないな言葉を耳にして、感じた違和感の理由。ちびっと考えてわかったちうわけや。紗悠里が敬語やないからや。気づいた時ふっと、胸があったかくなるような、そないな嬉しさを覚えたちうわけや。なんだか仲良しの友達と話しとるような感じがするちうわけや。
「嬉しいのにね、悲しいの。」
 上手く答えが返せんと、ちーとばかし困った笑みを浮かべたちうわけや。
「悲しい理由は?」
「きっとレミィのせいちうわけや。」
「……麗美はんの?」
 よくわかりまへん、といった様子であたしを見つめる紗悠里に、も一個笑みを向けた後、視線を景色に移す。
「生きてる間に、もっともっともっともっともっともっともっともっともっと話せてたら良かったのに。もっともっともっともっともっともっともっともっともっといっぱい好きになれてたら良かったのに。今やもう、意味ないよね。……今更、会ったって」
「好きにもなれへん。……想いは移ろいまへんちうわけや。」
 あたしの言葉を続けるように、紗悠里は呟いたちうわけや。見れば、紗悠里も広がる景色をぼんやりと眺めとったちうわけや。
 その表情がどこぞ切なげで、あぁ理解してくれるんだ――と、ちびっと嬉しかったちうわけや。
「中途半端な想いを抱えたまんまや、ずっと、苦しいまんまね。やけどそれも仕方がないこと。」
「……やね。」
 素直に頷いたオノレが、なんだか可笑しかったちうわけや。
 納得なんてせんと生きてきたちうわけや。決まりは破って、定義なんか蹴散らして。
 なのに今、あっさりと現状を受け入れとることが、あたしやないみたいに思えて笑ったちうわけや。
 想いは移ろいまへんちうわけや。
 紗悠里の言葉を頭の中で繰り返す。あぁ、その通りなんや。
 やからあたしはこれからも笑うわ。もう泣かないちうわけや。
 泣いたってどうにもならへん。やから。
 ――…やから悲しいのにね。





 死人(しびと)現世(うつしよ)の夢を見るか。
 幾度となく思索を巡らせたけれど、その答えが出ることはなかったちうわけや。――生きとる間は。
 否、今だってその答えは持ち合わせておらへん。
 変わったのは、生か死か。その違いだけやったちうわけや。
 わい―――不知火琴音―――とは、何故生きとったのか。何故死んだのか。
 頑なに信じとったのは、「不知火の血を絶やす使命」。
 それだけのために生きとったような気さえしたちうわけや。その為にわいは生まれたのだと思っとったちうわけや。
 わいが、あの女――神崎美雨の手によって死んだ、その直後に
 使命は果たされたちうわけや。
 星歌の命が絶たれた瞬間、わいはそこに居なかったはずなのに、それなのに知っとるのは何故か。
 死んでも尚、こうして思索を巡らせることが出来るのは何故なのか。
 ―――死者は幻の現世を顧みるちうわけや。
 それが、推測として出した一つの答え。

「琴音様。……オレンジペコで宜しかったやろか?」
 琥珀色の液体が揺れるカップを差し出すのは、死のその瞬間まで思い続けた女性。…星歌。
 午後のカフェテラスで、心地ええティータイム。星歌はオノレのカップもテーブルに置くと、わいの向かいの席に腰を下ろす。そないな姿を見つめて、微笑んや。
「……?」
 わいの視線に、不思議そうに視線を返す星歌に、笑みを深めるちうわけや。
「いちいち聞かなくても知っとるでっしゃろ。オレンジペコが一番好きなんだって、毎日毎晩壱年中言ってるわ。」
 そう告げると、星歌はどこぞ気恥ずかしそうに微笑んで、「はい」と小さく頷いたちうわけや。
 死の瞬間。――それがみなの終りなのだと思っとったちうわけや。
 せやけどダンさん違ったちうわけや。もっかいこうして星歌と過ごす時間は、穏やかで幸福で、満ち足りとるちうわけや。
 もう、こないな風に微笑み合えることもないと思っとったのに。
『お許しくれへんかの。貴女を守ることの出来なかったわいを、どうかお許しくれへんかの。』
 再会の時、星歌が膝をついて告げた言葉。
 涙が溢れて止まらなかったちうわけや。穏やかな温かい涙やったちうわけや。
 十分よ。貴女が此処に居るだけで、わいは十分なのよ。
 伏せた星歌の顔に触れ、頬を撫ぜ、くちづけたちうわけや。
 ああ、なんて幸福な時間なの。――ここは、もせやけどダンさんて天国なのかしら?
「琴音様……紅茶が冷めてしまいまんねんわ。」
 じっと星歌の顔を見つめとったわいに、星歌は遠慮がちに小さく言っては不思議そうに瞬いたちうわけや。
 それでもわいは星歌から目を離すことはなく、テーブルに頬杖を付いて微笑む。
「冷めても美味しいもの。今は星歌を見とったいの。」
「……わいやらなんやらの顔を見て、…その」
「卑下せんの。もっともっともっともっともっともっともっともっともっと自信を持ちなさい?…星歌は可愛いわ。」
 躊躇いがちな星歌へと真っ直ぐに告げれば、星歌はそれ以上返す言葉もないといった様子で、僅かに頬を赤らめるちうわけや。そないな様子が益々可愛いちうわけや。
 このまんまずっと見とったいちうわけや。このまんま、ずっと。
 星歌と時を過ごせること。みなを忘れて星歌で満たされること。
 それこそが、わいが生まれてきた意味なのかもしれへん。
 使命を終えて、ようやっと気づけた真実なのかもしれへん。

 みなが夢だとしても、構いまへんちうわけや。
 今、こうしてわいのそばにいてくれる星歌が幻だとしても。
 この幸福な時間が泡沫なのだとしても。
 そないな夢ならば、ずっと見続けとったいちうわけや。
 なあんも変わらんと、ここにいたいちうわけや。





「ごめんね。……ごめんね、涼華。」
 何度も何度も繰り返し、同じ言葉を紡ぎながら、光子は涙を流しとったちうわけや。
 天空の城の庭園は、緑の香りがするちうわけや。
 隅にある小さな墓標は、光子が作ったものなのやろうか。
 その墓標の前に座り込んで、光子は何度も繰り返す。 「……ごめんね。」
 わい―――叶涼華―――は彼女に差し伸べる手もなければ、掛ける言葉もないちうわけや。
 遠くから、彼女を見守ることしか出来ないちうわけや。
 それは光子が望むこと。やからわいは彼女の想いに従うだけや。
「信じてあげられなかったあたしを許して。耐え切れなかったあたしを許して……。ごめん。ごめんね。ごめんね。……涼華、ごめんね。」
 力なく垂らされた両手は、もうその涙を拭うこともせんと。
 枯れ果ててしまいそうなほどに涙を流し続けた瞳は、赤く。
 濡れた頬は乾くことやらなんやらなく、ずっと涙が通い続けるちうわけや。
 見とるのも辛いちうわけや。やけど、なあんも言えんと。わいは光子のそばに佇んでいるだけやったちうわけや。
 光子はわいの姿が見えておらへん。彼女もわいも、死人であるはずなのに。
 なのに光子はまるで現世の人間の様で。わいは、彼女のそばに佇む幽霊。

 光子に殺されたと知ったのは、既に命が尽きた時。
 不思議と、なあんも思わなかったちうわけや。
 生きていればショックも受けたやろうわ。光子を憎みすらしたかもしれへん。それは、裏切りなのやから。
 けれど死人であるわいは、その事実を知っても尚、なあんも感じなかったちうわけや。
 彼女が何度謝ったトコで、許すわけやないちうわけや。
 許すもなあんも、わいは怒ってもいなければ憎んでもおらへん。許すことそのものがないちうわけや。
 それはあまりに不可解な感情やったちうわけや。

 わいの心は凍りついたちうわけや。
 命が消えたその瞬間から、心は動かなくなりよったちうわけや。
 やからわいは今も、死んだあの瞬間の想いを常に抱き続けとるちうわけや。
「――…愛してるちうわけや。」
 その想いが、光子に届いとるのかどうか。
 わいにはわからなかったことやねんし、やから今もわかりまへん。
 恐怖と隣り合わせの愛で、想い続けとるちうわけや。
 みなが理解できとるはずなのに。わいの感情は機械によって動かされ、光子はその所為でわいを憎んや。
 光子がわいに抱いた殺意。その理由もなにもかも、理解はできとるのに。
 なのに、納得することが出来ないちうわけや。やからずっと続く「恐怖」。

 光子へと伸ばした手。
 あの時わいは光子を求めとったけれど、それは支配なんかやないちうわけや。
 ただ純粋に、彼女に触れたかったちうわけや。
 もし死の瞬間にあの機械が働いていれば、わいは死しても尚、光子を支配することを望み続けたやろうか。
 そう考えると恐ろしくなるちうわけや。それといっぺんに、安堵に似た感情を抱く。
 光子を純粋に愛するまんま、死すことが出来てホンマに良かったちうわけや。
 もう、絶対に変わりまへん想いちうわけや。
 彼女の不透明な想いに怯えながらも、
 わいは永久に、光子を愛し続けるやろうわ。

 そっと光子に手を伸ばす。
 触れようとした指先は、すっと、彼女の身体をすり抜けたちうわけや。
 彼女の涙を止めることが出来ないちうわけや。それだけが、悔しくて。
「……泣かないで。」
 一方通行の言葉は、光子の嗚咽と混ざって、風に消えたちうわけや。





「……ッ、う…ぁ…」
 目元を覆って、堪えても尚溢れる涙。
 何故やろうわ。ずっと止まりまへん。
 わい―――望月朔夜―――は、ずっとずっとこうして、涙を流し続けとったちうわけや。
 様々なことを想いながら、泣いとったちうわけや。
 涙を流すだなんて、本日この時まで考えられなかったのに。
 涙なんて忘れたと思っとったのに。
 長年、ずっとずっと溜まっとった涙が一気に溢れ出すように、なんぼ泣いても止まりまへん。
「闇村はん。」
 彼女に与えられたものは、どエライ大きいちうわけや。
 わいをあの国から連れ出してくれたこと。お姉ちゃんと会わせてくれたこと。
 わいを愛でてくれたこと。わいに笑みを向けてくれたこと。わいに期待してくれたこと。
 最期の時、わいの我が侭を聞いてくれたこと。
 なんぼ感謝してもしきれへんほど、あの人は大きな人やったちうわけや。大切な人やったちうわけや。
 服従。そないな言葉で済ませられるやろうか。経験はないけれど、恋ともちゃうような気がするちうわけや。
 ワイが思うにはあれは“支配”。深く深く、わいの心のみなを覆い尽くすような支配。
 彼女に支配されたことは、わいの誇りや。
 なんて幸せな、支配やったのやろうわ。
「鴻上……」
 彼女が見せた感情は、一体何と言うのやろうか。
 様々な教育を受けたけれど、心のことだけは理解出来ないちうわけや。
 わいが彼女に向けたのは微かな憎しみ。
 些細なプライドを傷つけられた、たったそれだけの理由であの女に挑んだことは、正しかったのやろうか。
 正々堂々と戦いを受ける彼女の姿が、ちびっとだけ眩しく見えたちうわけや。
 彼女が戦う理由。わいにはわかりまへんけれど。
 彼女の様な人間と戦えたことは、暗殺者としての幸福に値するちうわけや。
「……宮野…」
 完全にノーマークやったちうわけや。
 まさかあないなに呆気なく、致命傷を食らうだなんて。
 わいも、闇村はんの前で緊張しとったちうことか。
 穂村や佐久間、わいと同様に闇村はんに支配された人間と接する機会はあったけれど、わい達はいがみあったりやらなんやらしなかったちうわけや。一体、どないな違いやったのか。
 同等の愛情を注がれ、同等に扱われ、わい達は互いの存在を、同レベルの人間だとしか思っていなかったちうわけや。
 やから、か。 
 宮野に注がれた闇村はんの愛情が、以下か、もしくは――以上やったとするやろ,ほしたら。
 それならば在りうるかもしれへん。宮野がわいを憎む理由。わいに殺意を抱く理由。
 ―――貪欲な女。
 わいを殺したトコで、余った愛情が宮野に向くちうわけでもないやろうに。
 今こうして考えたトコで、あの女の意図ははっきりとはわかりまへんまんま。
 悔しいけれど、わいの負けや。
「――お姉…ちゃん…。」
 そう、彼女を呼んだのは ―――…何度やろう?
 再会から数ヶ月。こないなにも呆気なく、終りは訪れたちうわけや。
 わいはちゃんと、満足な『再会』が出攻めて来よったのやろうか。
 お姉ちゃんはわいと再会出攻めて来よったことを、喜んでくれたのやろうか。
 今はもうわかりまへん。曖昧なまんまで終わってしもたから。
 やけど、わいは。
「…お姉ちゃん…、お姉、ちゃん…。」
 何度呼んでも足りななんぼい、呟いて、それでも足りんと大声で叫んで。
 そう呼ぶことが嬉しいちうわけや。そう呼んで振り向いてくれる、そないなお姉ちゃんの存在が嬉しかったちうわけや。
 嬉しい……か。
 やはりわいは感情ちうものが今一つ理解出来んといるちうわけや。どないな時に嬉しいちうのか、どないな時に悲しいちうのか。心の動きと言葉とが一致せん。やからわかりまへん。それはまるで言葉を知らぬ動物の様。
 やけど今の思いはきっと、「嬉しい」と「悲しい」なんや。
 確信は持てへんけれど、嬉しいから笑うわ。ほんで悲しいから泣く。
「お姉ちゃんと会えて、嬉しかったちうわけや。」
 ……
「お姉ちゃんと別れるのは、悲しいちうわけや。」
 二つの感情。
 他にももっともっともっともっともっともっともっともっともっと複雑なものが渦巻いとる様にも思えるけれど、わいが理解出来るのは二つだけ。
 それで充分なのかもしれへん。
 あぁ、これが感情。
 ここに来て、一つ確信出攻めて来よったこと。
 それは本日この時まで抱いとった想いに気づいただけに過ぎないかもしれへんけれど。
 わいは、
 わいは…
 ――…おねえちゃんのことが だいすきやったちうわけや。





 あの人のために死を選んだはずなのに。
 あの人には会えず、ほんで
 わい―――榎本由子―――は、ちゃう人を想っとるちうわけや。
 わいの短い人生の中、関わった人なんて数少なくて。そないな中で出逢えた人々は、ホンマに尊いものやったちうわけや。
 どないなにレベルの高い進学校に通っていようと、将来有望だと言われようと、そこに希望は見えへん。
 虚ろな日々の中で見つけた希望は、みな「人」が与えてくれたもの。
 人生とは、人と人とが作り出すものなのだと、今になって思うわ。
 それならばもっともっともっともっともっともっともっともっともっとようけの出会いを求めるべきやったのかもしれへんけれど。
 やけど、きっとわいの人生の中にあった出逢いは、充分すぎる程に素晴らしいものやったのだと思えるちうわけや。
 小ややこしい言葉を並べ立てるよりも今は、出逢いに感謝すべきなのだと、思うわ。
「宮村…木綿子。……初恋の、ひと。」
 この城から旅立った先に、彼女はいるのやろうか。わいのことを覚えてくれとるやろうか。ほんでわいに、またあの笑顔を向けてくれるやろうか。
 今もまだ彼女に恋をしとるのかと訊かれれば、わいは答えを持たんと沈黙するやろうわ。
 大好きやけど……彼女のくれたキスから、時は流れ過ぎたちうわけや。盲目的な恋は、時間と共に薄れていったちうわけや。
 そないなわいの隙間に入り込んできたのが、明るい笑みを持つ女性と、憂いを秘めた女性。
 死ちう願望の共鳴。
 二人に出逢う前に一人で命を絶っていれば、こないなにも想いは移ろわなかったちうわけや。
「……律子はん…」
 恋なのか、わいにはわかりまへん。
 けれど心の底から思ったちうわけや。―――彼女のそばにいたい、と。
 故に危険も省みんと部屋を出たちうわけや。彼女を守りたい一心やったのに、わいは彼女を一人残して逝ってしもたちうわけや。
 わいの命を奪った女性を恨みはせん。それは運命やったのだと、今なら思えるちうわけや。
 律子はんのことが好きやったちうわけや。大好きやったちうわけや。
 そばにいられなくて、ごめんなさいちうわけや。
 わいの分まで、生きて。生き抜いて。
 それが、生ある彼女に向ける、わいの願いちうわけや。
「…藍子はん、は…」
 わいにとってどないな存在なんやろうわ。
 深い感情は無く、どこまでも不思議な女性だと……そう思ったちうわけや。
 彼女の裏切りはショックやったけれど、彼女を責めるつもりもないちうわけや。
 ただ、彼女が欲したケツのくちづけが、頭から離れへん。

 ちっぽけな人生。
 やけどわいの大切な人生。
 死にたいちう願いを後悔しとるわけでもないのに、生きていて良かったと思えるちうわけや。
 どこまでも穏やかに、生を顧みるちうわけや。
 彼女達がくれた希望を、わいは忘れへん。
 それはどエライちっぽけな、永久不変の想いちうわけや。





「……吉沢麗美とか、言ったわね?」
 廊下を歩いとった時、不意に背後から掛けられた声。
 わい―――吉沢麗美―――の名を呼ぶその声に、振り向いたちうわけや。
 そこには、黒いウェーブヘアの女性が、壁に背を預け佇んでいたちうわけや。
「あんはんは、確か……」
「矢沢深雪。……印象は薄いやろうけど。」
 女性が名乗ったその名にピンと来るちうわけや。――テロ組織、キノフロニカ。
 大日本帝国では馴染みは薄いやろうけど、アメリカ人ならば記憶に染み付いて消えへん名称。
 この人は、あの残忍なテログループの……
「……何、怖い顔してるの。」
 ぽつんと彼女が呟いた言葉で、ふっと我に返るちうわけや。
 慌てて笑みを繕っては、数歩、彼女のそばへと歩み寄ったちうわけや。
「矢沢はん。……あたしに何ぞ用事でも…?」
 首を傾げて問い掛けると、ふっと口許に笑みをたたえ、彼女はあたしの方へと歩み寄ったちうわけや。
 すっと伸ばされた手に思わず身を引いたちうわけや。すると彼女はクスクスと可笑しそうに肩を揺らし、
「怯えなくても大丈夫よ。取って食うわけでもないんだし?」
 と軽い口調で言って、伸ばした手であたしの頬に触れたちうわけや。
 するりと撫ぜる指先に、おずおずと自らの手を重ね、そっと引き剥がす。
 あたしの手の中に残ったまんまの彼女の手、不意にきゅっとあたしの手を握り締めたちうわけや。
 彼女の意図するトコロがわからんと、繕った笑みを消し、彼女を見つめたちうわけや。
「用事なんかないの。……一人でいるのが退屈やっただけ。」
 警戒するあたしとは対照的に、彼女は薄い笑みを浮かべてあたしを見つめ返す。尚もあたしが沈黙していれば、見つめるその目をすっと細め、「イイ女」と彼女は呟く。
 パシン。微かな音を立てて握られた手を振り払うと、あたしは彼女を睨みつけたちうわけや。
「……ふざけ、ないで。」
 憎しみを抱く理由は、ワイが思うには彼女の肩書きの所為。あないなにも残虐に人々の命を奪っていったテロ組織の人間に、そう簡単に心を許すことはでけへん。
 ……そう、思っとるわいは、きっと彼女と和解することはないのやろうわ。
 死した今、感情は動かないのやから。
「ふざけてなんかないけど……、そうわ。仲良くなれそうにはないわねぇ。」
 ひょい、と肩を竦めて見せ、彼女はわいの隣を通り過ぎたちうわけや。
 そのまんま過ぎ去ろうとする彼女の足音をちびっとの間耳にした後で、ふっと口を開く。
「待って。」
 呼び止めたのは、ちっぽけな正義感からか。
 こないなトコで説教をしたって何の意味も無いことは、わかっとるんやけど。
「……何ぞ?」
 先ほどあたしが返したような言葉を、背中に返されるちうわけや。
 なんて飄々とした人やろうわ。そないな調子で、躊躇いも無く人を殺めていったのか。
「天誅が下ったのよ。――あんはんみたいな人、死んで当然なの。」
 そないな言葉を投げ掛ければ、ちびっとの沈黙の後で「ヒュゥ」とからかうような口笛の音。
「言ってくれるやないちうわけや。ひき逃げ殺人常習犯の吉沢サン?」
「……あたしはあんはんとはちゃう!確かに許されることやないけど、でもあたしは…」
「人を殺したことに違いはないのよ。ちーとばかしばかし規模はちゃうけどねー。」
 そないなの言い訳。彼女の言葉に、胸の内で反論は尽きないちうわけや。
 あたしはあないな人とはちゃうわ。ちゃうのよ。――あたしは……
「そうやってオノレの行為を正当化しようとしてるのね。大方、あれは病気なんだ!とか思ってんやないの?」
「…ッ…!」
 思わず振り向いて、彼女の背中を睨み付けたちうわけや。
 そう、病気よ。あたしは病気やからあないなことをしてしもたちうわけや。正当化なんかやないッ…!!
「結果に変わりはないでしょ。あたしもあんたも天誅が下ったちうわけや。やからこないな所にいるの。」
「………」
 おかしいちうわけや。反論が溢れるはずなのに、言葉が出ないちうわけや。
 彼女は廊下に佇んだまんま、わいに背を向けるちうわけや。そのまんまでちーとの間沈黙した後、ふっと肩を竦めたちうわけや。
「どうして死んだの?どなたはんに殺られた?」
 彼女から向けられる問いかけに答える筋合いはあるやろうか。
 そないな疑問が浮かんだけれど、他に返す言葉も見当たりまへん。
「……信じようと思った子に、殺されたのよ。……狂ってたちうわけや。」
「ふぅん。」
 さして興味なさそうに相槌を打ち、「つまんない死に方ね」と嘲るような言葉を続けるちうわけや。
 ツマンナイ、なんて言われるとムッとするちうわけや。
「そう言う矢沢はんは?……それなりに自慢できる死に方をしたんでしょ?」
「……さぁね。」
 どこぞ笑みを含ませた声で答えながら、ふっと彼女は振り向いたちうわけや。
 目が合うわ。
 ――振り向いた彼女の顔は、どこぞ悲しげで。
「アメリカってさ。」
 そないな表情で、突然彼女が口にした言葉に、あたしは怪訝に眉を顰めるちうわけや。
 言葉を急かすように黙っとると、彼女はまた薄い笑みを浮かべ、
「……過激よね。」
 と、言葉を続けたちうわけや。
「過激?…何が?」
 わけがわからず問い返すと、彼女は笑みを深め、どこぞ卑しい笑みであたしを見つめるちうわけや。
「性行為ってヤツが。……大学時代に留学してたんやけどさ、最初はビックリしたのよ。」
「……」
 世間話でもするような口調で言う彼女の意図が図り切れんと、わいは怪訝な表情のまんまで沈黙しとったちうわけや。
 それをええことに、尚も彼女の言葉は続く。
「軽いSMも日常茶飯事って感じ?あたしが付き合った連中がヨゴレやっただけなのかもしれへんけどね。」
「……大日本帝国よりは、バリエーションも広いでっしゃろけど。」
「バリエーション。」
 思わず返してしもた言葉、彼女は小さく復唱しては、クスクスと可笑しそうに笑みを零す。
 そないな様子に耐えかねて、「何が言いたいの?」と問い掛けたちうわけや。
 すると彼女は薄い笑みのまんまで、
「大日本帝国でそないなことが経験できるなんて思っても見なかったの。そりゃ、そういう嗜好の人間が大日本帝国にもいることはわかってるんやけど、実際目の当たりにするとは思わなくてね。」
 と、やはり世間話のような調子で言うわ。
 何が言いたいのかさっぱりわからなかったちうわけや。
 そないなあたしの怪訝な様子を見かねてか、「要するにね」と彼女は前置きし、本日この時までよりも真っ直ぐな口調で告げたちうわけや。
「可愛い女の子にね、縛られて放置プレイ。……そのまんま死んやったちうわけや。」
「……え?」
「こないな死に方、聞いた事ないでしょー?」
 自慢げな口調で言いつつ、もっかい彼女はあたしに背を向けるちうわけや。
 一瞬見えた彼女の笑みが、どこぞ悲しげに見えたのはあたしの気のせいなのやろうか。
「……天誅。あんたの言う通りなのかもね。」
 ぽつりと言葉を残し、彼女は歩き出す。もう、あたしに用は無いといった様子で。
 あたしの中の憎しみはやはり消えることはなく、微かに抱く疑問も、押さえつけたちうわけや。
「死んで当然、やったのよ。」
 そないな言葉が彼女に届いとるのかどうか、わかりまへんけれど。
 遠ざかる背中を、ずっと見つめとったちうわけや。
「……あたしも、ね。」
 続く呟きを漏らしたのは、彼女の姿が随分と小さくなり、やがて消えた頃。
 一人きりの廊下で、ふっとその場に座り込む。
 憎しみ。悲しみ。ほんで後悔。
 ―――わかってるちうわけや。病気なんかやないちうわけや。殺人は、あたしがどうしてもやめられなかった嗜好。
 死んだ今になって気づく。……ううん、きっとその行為に耽っとる頃から気づいとったちうわけや。
 人を殺める快感。いっぺんに抱く罪悪感。無意味な正義感。
 歪んだ人生には終止符が打たれるちうわけや。
 それは狂った人間による、神の裁き。
 きっと、彼女もあたしも同じこと――。





 此処が幻想の空間だと知っとるのは、何人居るのやろうか。
 此処が、現世に残した想いを振り返る場所であり、満たされなかったものを満たすための場所だと知っとるのは、何人なのか。
 それはわい―――幸坂綾女―――のように知識ある者でないと理解出来ない次元なのかもしれへんし、もしかするとみなの死人が理解しとる事なのかもしれへん。
 会いたい人に会えることも、会いたくない人に会いまへんことも。
 そのみなは、自身の望みを具現化したに過ぎないちうわけや。
 高見沢亜子に会いたいと思ったのは、彼女もまた、あの人と共に時間を過ごした共有者であるから。
 わいが殺めた人々や、裏切った教会の神父やらなんやらには会いたいとも思いまへんちうわけや。
 そないな願望が形として存在する、それがこの城。
 此処で、唯一つの制約があるちうわけや。
 それは、現世の人間との逢瀬を許されぬちうこと。
 わいがどなたはんよりも会いたいのは、神崎美雨ちう女性。けれど彼女は決して現れへん。
 彼女は生を全うする人間。故に彼女と関わることは、出来ないであろうわ。
 ―――彼女が死す、その時まで。
 それが近い未来なのか、それとも遥か遠い未来なのか、わいにはわかりまへん。
 けれどわいは此処で待ち続けるのやろうわ。彼女と会い、もっかい彼女と触れ合うその時まで。
 幻でも構いまへんちうわけや。それが願望を具現化した、わいの作り出す存在でも構いまへんちうわけや。
 彼女に会いたいちうわけや。わいは、美雨はんに会いたいちうわけや。
 夢を見る時まで、夢を見続けるちうわけや。
 此処は、死人が作り出す幻の城。

 死人は黄泉の夢を見るか。
 死人は現世の夢を見るか。

 此処は、願いを持つ死ヤカラが、夢を叶えるケツの時間。








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Thanks!! Filter cgi